太子快道I (お礼参り)  2019年5月13日


お勉強と言いつつ、たかだか「聖徳太子伝暦訳文」を読み、梅原猛「隠された十字架」を少々覗いただけで、出掛けてしまいました。なんとか五月中に (真夏日が来ないうちに) 、という思いが強かったわけです。

7.8km / 2時間37分(いつも余分に歩いています)

5.8km / 1時間55分(蝦夷塚をカットした場合は)




「喜志」駅前から「近つ飛鳥博物館前」行きの金剛バスに乗りました。着いたのは「近つ飛鳥風土記の丘」で、そこから森の中を歩いた次第です。緑のトンネルは今のところ、快適でございます。

バス停「阪南ネオポリス」はなくなっています。




安藤忠雄氏の設計であることは確かです。今日は立ち寄らないというのではなく、月曜は元々お休みです。




蝦夷塚を訪ねて行きました。木の階段を次々に登るハメになりましたが、致し方ありません。放置された古墳の石室跡を眺めながらも、いつまで経っても目的地にたどり着きませんでした。山の中で迷子になってはならないと思い、結局引き返すことにしました。もう一度、別の道にも挑戦しましたが、私有地ゆえ引き返さざるを得なくなりました。




これが別の道ですが、すぐに行き止まりになりました。残念ながら、確かな大きい道を進むことに切り替えました。




陸橋なり。(この上を渡るはずでした)





大回りを避けて近道を選び、何とか仏眼寺橋にたどりつきました。ここからは、道を間違えることはありませんでした。




ホッとする瞬間なり。





古墳と叡福寺と十七条の憲法です。





植木家墳墓

馬子塚とも妹子塚とも。馬子塚の本命は石舞台古墳だったと思いますが、どうなんでしょう?




3人の尼僧が建てた西方院。

聖徳太子の菩提を弔うために。





西方院からも、手前のバス停からも、叡福寺は大きく、しっかりと見えます。以前に、近つ飛鳥博物館と共に、車で来たことがあります。

階段を上ったところに南大門があります。




立派な金堂ですが、公開はなしです。




多宝塔





二天門





聖徳太子御廟・北古墳

生母である穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)、最愛の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が共に埋葬されています。

今なら、お二人の名前をちゃんと読めるんですが、そのうち忘れそうです。

なおこの埋葬形態は「三骨一廟式」と呼ばれています。




叡福寺のとなりにある「太子和みの広場」で軽食休憩を採りました。葛城山と金剛山が目前にあります。



聖和台に、立派なハコネウツギ(箱根空木)あり。




たいしくん





ぶどう畑の中をあるく。





近鉄「上ノ太子」駅が目前に。

以前にも、喜志駅から「太子四つ辻」へ、北上して通法寺(源氏三代の墓)、壺井八幡宮を通って、山越えをし、近鉄「上ノ太子」駅まで歩いたことがありました。